パワハラ被害経験者が向き合った怒りと失望:許しがもたらした心の解放
許しという行為は、ときに非常に困難な感情的なプロセスを伴います。特に、ビジネスの現場や社会生活において、信頼していた相手からの裏切りや、理不尽な扱いを受けた場合、そこに生じる怒りや失望は深く、簡単に割り切れるものではありません。今回の記事では、職場でのパワハラ被害という、多くの方が共感し得る状況を経験された方が、どのようにその感情と向き合い、許しへと至ったのか、そしてそれがその後の人生にどのような変化をもたらしたのか、具体的な体験に基づいて考察します。
職場での理不尽、募る怒りと失望
今回お話を伺ったのは、長年勤めた企業で上司からの継続的なパワハラに苦しんだ経験を持つAさん(仮名)です。Aさんは、ご自身の専門性を活かし、多くの実績を上げてきたベテラン社員でしたが、ある時から新しい上司からの、理不尽な業務指示、人格否定、過度な責任追及といったハラスメントに晒されるようになりました。
当初、Aさんは事態を飲み込めず、困惑しました。「なぜ自分がこのような扱いを受けるのか理解できない」という思いと同時に、「自分の何が悪かったのだろうか」という自己批判の念も湧き上がりました。しかし、上司の行動はエスカレートする一方であり、次第にAさんの心身は疲弊していきました。
毎朝、会社に行くのが辛くなり、集中力も低下し、ついには体調を崩して欠勤することが増えました。同僚や部下への影響を考えると、責任感から無理をして出勤することもありましたが、その度に上司の顔を見て、胸が締め付けられるような思いを経験しました。
この時期、Aさんの心の中には、上司への激しい怒りと、状況を改善できない自分自身への失望感が渦巻いていました。「なぜあの人はあんなことができるのだ」「私の努力や貢献は何だったのか」といった思いが頭から離れず、夜も眠れない日々が続きました。
感情と理性の狭間で
状況が改善しないことから、Aさんは最終的に部署を異動することを選択しました。物理的に上司から距離を置くことで、心身の健康は少しずつ回復していきましたが、心に残った傷は深く、怒りや失望といった感情は簡単には消えませんでした。
Aさんは、理屈の上では、「あの人の言動に自分の価値が左右されるわけではない」「怒り続けることは自分にとって何のメリットもない」と理解していました。また、「許すことで、自分がその重荷から解放されるのではないか」という考えも、どこか頭の片隅にありました。しかし、感情は激しく抵抗しました。理不尽な仕打ちを受けた記憶がフラッシュバックし、怒りが再燃するのです。「なぜ私が許さなければならないのか」「あの人は反省もしていないのに」という思いが繰り返し湧き上がりました。
これは、「認知(理性)」と「感情」の間の典型的な葛藤でした。人は、頭では理解していても、感情が伴わないと行動に移せない、あるいは感情に引きずられてしまうことがあります。特に、深い傷を負った経験においては、感情的な痛みが強く、理性的な判断を妨げることがあります。
Aさんは、この感情的な抵抗と向き合うために、いくつかのステップを踏みました。まず、信頼できる友人や家族に話を聞いてもらいました。自分の経験や感情を言葉にすることで、少しずつ客観視できるようになりました。また、専門家(カウンセラー)の助けを借りることも検討し、実際に相談しました。専門家は、Aさんの感情を否定せず、安全な環境で自身の感情を深く掘り下げていくサポートをしてくれました。
その中で、Aさんは、自身の怒りや失望といった感情を「感じてはいけないもの」として抑圧するのではなく、「自然な反応である」と認めることの重要性を学びました。感情を否定するのではなく、ただ「ある」と受け入れることで、少しずつ感情の波が穏やかになっていくのを感じたといいます。
許しは相手のためではない
Aさんが許しという選択肢を現実的に捉え始めたのは、怒りや失望という感情にエネルギーを奪われ続けている状態に気づいた時でした。あの時の出来事や上司への怒りに囚われている限り、過去に縛られ、未来に進むためのエネルギーを失っている。そう感じたのです。
ここで重要な視点の転換がありました。それは、「許しは、相手のためにするのではなく、自分のためにするものだ」という理解です。加害者が謝罪しようがしまいが、反省しようがしまいが、それは相手の問題です。自分が怒りや恨みを持ち続けるか、それとも手放すかという選択は、自分の心の状態に関わることであり、最終的には自分自身の平穏に影響します。
Aさんは、許すことを、加害者の行為を正当化することや、過去を忘れることではないと認識しました。それはむしろ、過去の出来事によって自分自身が苦しみ続けることから解放されるためのプロセスだと捉え直したのです。加害者への期待(謝罪など)を手放し、過去の出来事によって生じた感情的な重荷を、意識的に降ろしていく作業に取り組みました。それは一朝一夕にできることではありませんでしたが、感情を受け入れ、自身の内面に焦点を当てることで、少しずつ心の状態が変化していきました。
許しがもたらすもの
許しというプロセスを経て、Aさんはまず心の平穏を取り戻すことができました。過去の出来事に囚われなくなり、怒りや失望にエネルギーを奪われることが減ったのです。これは、その後の人生やキャリアに大きな影響を与えました。
まず、精神的な余裕が生まれ、新しい仕事や人間関係に前向きに取り組めるようになりました。過去の経験から学んだことを活かしつつも、不必要な警戒心や不信感に支配されることが減りました。
また、パワハラという理不尽な状況を経験し、そこから回復するプロセスを乗り越えたことは、Aさんにとって大きな自信となりました。困難な状況でも、自身の感情と向き合い、主体的に心の状態を改善していくことができるという感覚を得たのです。これは、その後のキャリアにおけるリーダーシップや問題解決能力にも良い影響を与えたと言います。
許しは、魔法のように全ての痛みを消し去るものではないかもしれません。しかし、それは過去の出来事によって未来が支配されることを拒否し、自分自身の心のあり方を主体的に選択する力を持つことを教えてくれます。Aさんの体験は、理不尽な状況や深い傷から回復し、心の平穏を取り戻すための具体的な一歩として、「許し」がどれほど大きな意味を持つのかを示唆しています。それは、時に困難で、時間のかかるプロセスですが、自身のwell-beingのために非常に価値のある選択となり得るのです。
まとめ
許しは、単なる諦めや忘却ではなく、過去の出来事によって生じた感情的な重荷から自身を解放するための、意識的で主体的な行為です。特に、ビジネス上の裏切りや人間関係での深い傷など、理不尽な状況で受けた痛みに対しては、怒りや失望といった感情が強く抵抗し、許しを困難にさせることがあります。
しかし、感情的な抵抗と向き合い、許しが「相手のためではなく、自分のため」という視点を持ち、自身の感情を認め、受け入れるプロセスを経て、心の平穏を取り戻すことは可能です。それは、過去に囚われず、未来に向けて新たなエネルギーを注ぐことを可能にし、自己肯定感や回復力を高めることにも繋がります。
許しのかたちは一つではありません。それは、それぞれの経験や状況によって異なり、時間のかかる旅であることもあります。しかし、自身の心の声に耳を傾け、感情と向き合い、主体的に許しという選択肢を探求することは、より豊かな人生を送るための一歩となり得るのです。このサイトが、読者の皆様がそれぞれの「許しのかたち」を見つけるための一助となれば幸いです。