古参社員による不正行為:失われた信頼と、組織の未来のために経営者が選んだ道
組織の根幹を揺るがす、信頼の崩壊
長年培ってきた組織において、従業員との信頼関係は何よりも重要な基盤であると言えます。特に、創業期から共に歩み、会社の成長を支えてきた古参社員への信頼は、単なるビジネス上の関係を超えた、ある種の家族のような感覚に近い場合もあります。そのような存在による裏切りが発覚した時、経営者が直面する衝撃と心の痛みは計り知れません。理性では速やかな対応が必要だと理解しながらも、感情がそれに追いつかない、あるいは激しく反発するという状況は、多くの経営者が経験し得る、あるいは恐れている事態でしょう。
ここでは、実際に古参社員による不正行為に直面し、深い失望と怒りの中で「許し」という、必ずしも感情的なものではない現実的な区切りを見出したある経営者の体験についてご紹介します。
発覚した不正と、経営者の内面
その体験者が経営する会社では、長年勤続し、特定の部門を実質的に取り仕切っていた一人の社員がいました。彼は創業期からのメンバーであり、豊富な経験と人望から、社内外から厚く信頼されていました。経営者自身も彼に絶大な信頼を寄せ、多くの権限を委譲していました。
しかし、ある日、その社員による経費の不正請求が発覚しました。当初は軽微なミスかと思われたものの、調査を進めるにつれて、長期間にわたり、巧妙な手口で繰り返されていた組織的な不正行為の一部であることが明らかになりました。その社員は、自身の立場を利用し、取引先と共謀して会社に損害を与えていたのです。不正による金銭的な損害もさることながら、それ以上に経営者を打ちのめしたのは、長年信頼し、共に苦楽を分かち合ってきたはずの人物による裏切りでした。
「信じられない」という思いが最初にこみ上げ、次いで激しい怒りと、自身の見抜く力のなさへの失望、そして深い悲しみが襲いました。頭の中では、不正への対処、他の従業員への説明、再発防止策の策定など、経営者として取るべき行動が次々と浮かびましたが、感情は完全に麻痺したような状態でした。なぜ、彼が、このようなことをしたのか。これまで築き上げてきた関係は何だったのか。問いは堂々巡りを続け、眠れない夜が続きました。
感情の嵐を乗り越え、現実と向き合うプロセス
感情的な混乱のピークが過ぎ去った後、経営者は弁護士や信頼できる社外の専門家と連携し、事実関係の確認と法的措置の検討を進めました。この段階で、経営者としての理性的な判断が求められます。感情的に犯人を罰したいという思いと、組織への影響を最小限に抑え、未来へ進むための最善策を講じる必要があるという理性との間で、激しい葛藤が生じました。
法的な手続きを進める一方で、経営者は自身の感情にも向き合わざるを得ませんでした。怒りや失望といった感情は、解決すべき問題そのものではなく、自身の内側にあるものであることに気づき始めたのです。その社員への個人的な感情的な「許し」は、この時点では到底考えられませんでしたし、また、組織の規律維持や他の従業員への説明責任を果たす上でも、感情的な情は挟めません。
ここで経営者がたどり着いたのは、感情的な「許し」とは異なる、より現実的な「区切り」という考え方でした。過去に起きた不正行為という事実を否定することはできない。そして、その事実がもたらした金銭的・精神的な損害も無視できない。しかし、その事実に囚われ続け、怒りや失望といった感情に支配されることは、組織の未来にも、自身の精神的な健康にも大きなマイナスである。そう考え、起きた出来事を「受け入れ」、その上で組織として、そして経営者個人として「どう前に進むか」に焦点を移したのです。
これは、不正を行った社員を「許す」というよりも、その出来事によって自身の心が破壊されることを「許さない」という選択であり、過去の出来事を「手放し」、未来へと意識を切り替えるという意志的な行動でした。感情的なわだかまりが完全に消えたわけではありませんでしたが、少なくとも、その出来事に囚われ続けることから自分自身を解放するための、現実的な一歩でした。
法的な決着が進むにつれて、心の整理も進んでいきました。その社員がなぜ不正に至ったのか、背景を完全に理解できたわけではありませんが、組織としての課題や、自身の経営者としての至らなさもあったかもしれない、といった反省的な視点も持つことができるようになりました。これは同情ではなく、あくまで客観的な分析としての側面です。
許し(区切り)が組織と個人にもたらすもの
この経験を通じて、経営者は多くのことを学びました。まず、組織における信頼は、感情的な絆だけでなく、明確なルール、チェック体制、そして定期的なコミュニケーションによって維持されるものであることを痛感しました。不正が起きた根本原因を分析し、ガバナンス体制を抜本的に強化しました。
また、他の従業員に対して、不正の事実を正直に伝え、今回の件を教訓として、より透明性の高い組織文化を築いていくことを約束しました。隠蔽することなく向き合う姿勢は、かえって他の従業員からの信頼を得る結果に繋がったと言います。
そして、最も大きな変化は、経営者自身の内面にありました。信頼していた人物からの裏切りという深い傷を負いましたが、感情的な怒りや失望に囚われ続けることなく、現実的な区切りをつけ、前を向いて歩み始めたことで、精神的な負担は大きく軽減されました。困難な状況下でも、感情に流されすぎず、理性的な判断に基づき、未来のための行動を選択するという経験は、経営者としての器をさらに大きくしたと言えるでしょう。完全に「許した」わけではないかもしれない。しかし、過去の出来事に心を支配されることをやめ、「あれはあれとして、自分はこうする」と決めることで、自己のコントロールを取り戻し、再び力強く組織を牽引するエネルギーを取り戻したのです。
困難な状況と向き合うために
「許し」という言葉は、時として非常に感情的で、到達不可能な理想のように響くことがあります。しかし、特にビジネスや社会的な人間関係で受けた傷に対する「許し」は、感情的な融解というよりは、起きた事実を現実として受け入れ、その出来事から自身を解放し、未来へ進むための「区切り」であると捉えることもできます。
困難な状況に直面した時、まず自身の感情を認識し、その感情に支配されそうになっている自分に気づくことが重要です。そして、感情的な反応とは別に、状況を理性的に分析し、組織や自身の未来にとって何が最善かを考える。そのプロセスの中で、過去の出来事に囚われ続けることから自身を解放するための「区切り」をつけることが、結果として自身の心の平穏を取り戻し、新たな一歩を踏み出す力となるのです。許しは、他者へ与える行為であると同時に、自身の未来のために自身へ与える許可なのかもしれません。